自殺者の未来
Future of suicide
自殺者の未来と聞くと不思議な感じがするだろうが、私が死ぬ間際に考えていたことを素直に書いておこう。
自殺する理由の多くは、死ねば楽になるという考えによることが殆どだろう。
また現実から逃避したい。
死んだら無になるのだから全て今の苦しみが消える。
そういう考えもあるだろう。
私もその一人だった。
だが世界中で報告され、また古来より言い伝えられている死後の世界というものがある。
臨死体験も国境を越え、言語や文化に関係なく似たような報告例は後を絶たない。
私も練炭を焚きながら車中でこのようなことを考えていた一人だ。
その逆にもし死後の世界があるとしたら自殺した人間はどうなるのか?
この世界は波長同通で似た者同士が集まっているが、そうでもないところも多々有る。
異質な存在がその組織や集団のなかに居ることもあるが、死後の世界は完璧なまでに波長同通だけが存在している。
では自殺する人間と同じ心を持つ人間だけが集団で存在しているとしたらどういう世界になるのか?
人間の生命の根源が魂で魂の本質は心だけだとしたら、どういう世界になっているのか?
この地上で考えていることは脳で考えていると思われているが、どうして脳死した人間が臨死体験をしその時の情景を鮮明に覚えているのだろうか?
現代科学は本当に全ての世界を解き明かしたのだろうか?
死後の世界があるということを否定する見解は多いが、誰一人死後の世界が無いことを証明し得た人はいない。
あの世が完全な波長同通でできていて、その人が生前生きていた時に強く念じたことや日々に考え続けたことは脳がなくなっても残るということが真実だとしたら?
私が死ぬ時に感じていた恐怖心や猜疑心、失望や絶望感がこの世で最後に強烈し感じたことなら、間違いなくその心が残り、私という物質的な個体が消滅しても、「我思うゆえに我あり」と過去の哲学者がいうように私と思っている私の思考が残り、全ての感情が残り、あたりを見回せば自分と同じような考えを持つ人間ばかりが集まる村に自分がいたならそこは間違いなく地獄であろう。
自分を疑い、他人を疑うばかりの集団。
自分を惨めな存在、可哀想だと慈悲魔になっている者同士が暮らす村があるとすればやはりそこも地獄であることは疑いが無い。
そして自殺して自分が無になったと思ってみたが、自分は消えずに思いとして、心として存在している、蘇る闇金からの取り立て、そう思った瞬間また自殺の現場に立ち尽くす自分がいる。
そしてまた自殺する・・・こんなことを繰り返しているだけの人々が集団で存在している世界。
私は練炭を焚きながら答えの出ない堂々巡りを繰り返していた。
確率は半々だ。
死後の世界が在るか?無いか?
地獄が有るか?無いか?
50%の確率は多いといえば多いが、リスクが高すぎるといえばそうも思える。
もし有ったら、私自身はこの苦しい状況をさらに悪化させ、苦しいから逃れたいと必死になり、死んでも死んでも自分という存在が消え無い無間地獄の苦しみ、煉獄の炎に焼かれ続ける思いで生き続けていくのは今よりも何十倍も苦しい世界になる。
練炭で朦朧とした意識の中で自問自答し続けていた。
有ったら大変な後悔をするだろう。
その答えは自然に命が尽きた時に明らかとなに違い無い。
あなたは今何を強く念じているだろうか?
あなたの周りに居る人を一人一人思い浮かべて欲しい。
あなた自身をどんな人間と思っているだろうか?
あなたの身近な人たちのことをどう思っているだろうか?
そして問題はあなた自身がどんな人間であるかということでは無い。
あなたが自分のことをどう思っているか?それが問題の本質であり、それがあなたの未来なのだ。
またあなたが今天命が尽きて死んだとしたら、あなたはその心に相応した世界に還ることになる。
そこにはあなたに似た考えを持つ人間だけが住んでおり、集落を形成している。
外見が問題ではなく、あなたの考えていることの中心の関心ごとがその村の関心ごとになる。
その集合想念がその集団の未来を形成していくのだ。
そしてあなたが他人を見ている時に欠点ばかりが見えているなら、あなたの住む死後の世界の人々は他人の欠点ばかりを見ている集団であるのだ。
あなたが他人を許せ無いのならば、あなたの還る世界では間違いや失敗が決して許されない厳しい世界である。
あなたが他人の失敗や間違いを責め続けているのなら、あなたが数十年後に行く死後の世界では、人を責め苛んでいる人ばかりしかいない世界に永住することになる。
向かいの人も、右の人も左の人も許せなく、責めてばかりの世界。
最後にこれは決して死後の世界だけの話では無い。
現在只今の世界であっても実はこの波長同通の世界が展開しているのである。
天国や地獄は死後の世界だけの話ではなく、今のあなたのこころのあり方が決めているのだ。
これが真実であるならば私たちは自由意思によってより良い発想の転換をしていくべきだろう。
2015年8月4日 空太郎
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