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人生の糧にした男の美学

美とはそもそも何なのだろう?

 the first place of the beauty?

このサイトは、男の美学というテーマを様々な観点から考察する意味で制作していく。

美学というテーマは実に興味深く奥の深いテーマであると思う。

別の言い方をすれば美意識という言葉にも置き換えられるかもしない。

何を持って美しいと言うかは人それぞれの価値観でもある、しかし太初の昔から美しいと崇められているものもある。

 

例えば富士山、富士山を醜いという話は聞いたことが無い。

例えば桜、日本では美しいと誰もが思う桜吹雪だが、桜が舞い散る姿を、花が枯れてゴミが舞っていると西洋人はかつて考えていたらしい。

国が違えば価値観が違う面も確かにあるかもしれない。

確かに国が違えば文化が違い、美意識が違ってくるだろう。

 

だが、ここでは肌の色や文化や言語が違っても美しいものとは何か?
そう!それが男の美学では無いか?そう考えるものである。

永遠の美は存在するのか?

What is eternal beauty exist?

永遠に美しいものは存在するのだろうか?

そもそも永遠自体が存在するのだろうか?
永遠について考えるとき、その答えは永遠に得られない気がする。
もし永遠が存在するとしたら、始まりと終わりが無いもの。
そう定義せざるを得ない。
ここでは「男の美学」をテーマに考察しているが、基本的に個人的偏見に基づいているということをご理解頂きたい。

話を戻すが、始まりが無く、終わり無きものが永遠であるなら、そこにはすでに美があるようにも思えてくる。
想像もつかないような時の流れが存在し、その時空には無限の空間があるのかもしれない。
永遠を考える時、無限という言葉が頭をよぎる。
この世界は時間と空間でできているが、時間も空間も有限に思えてしまう。

しかし夜空の天空を見上げたらどうだろう?

この大宇宙はもしかしたら果てし無い無限の空間なのかもしれない。

そしてそこに永遠の時間があるだろうか・・・

美学とは美を感じ続けること?

To continue to learn the beauty

美学を語る時にすでに美しものとは何かが分かりきったような口調に聞こえるかも知れないが、それは断じて違う。

これはいわば理想論や未来のあるべき姿を模索している男の戯言であることを知ってほしい。

人生はいつか必ず終わる。

それは誰もが死の元に平等であるという永遠の真理である。

そしていつかその終わりが来るまで何がしかのテーマを持とうと考えたわけである。

それが「美学」では無いか?

と現時点で考える次第である。

人生100年近くまで寿命が延びている最近であるが、私は50歳を過ぎた中年の男だ。

まさに人生の折り返しを過ぎ、このままでいいのか?諦め半分の自分もいる中でまだ諦めきれ無い理想の自分も確かにそこにいる。

人生は失望と希望の繰り返しであるが、いずれにしてもそれは自分自身の自由意志に委ねられた世界であると思う。

ここまでと思えばここまでにふさわしい世界が現れ、まだまだと考えればなんらかの変化があるのではないだろうか?

人の人生は棺桶の蓋を閉じる時までわから無い。

その時が来るまで自分の人生が失敗とか成功だとか考える必要は全くない。

醜いアヒルの子はやがて白鳥になるが、その途中だけ見て醜いと決めつけるのは早すぎる。

人は創造することにおいて自由である、変化することにおいて自由である。

自己変革を志し、昨日よりも今日、昨年よりも今年より良く生きていく自由が許されているのだ。

自分を見失い周りの価値観に振り回され、他人の評価ばかり気にしている人がいたとしたら、その評価は本当ではないと信じるべきだ。

人生は最後まで可能性に満ちている。

今日1日をより良く生きていきたいものだ。

ほんとうにありがとう。

2015年7月12日 空太郎

 

 

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