最初の借金から、ローンというやり方を覚えた私は、欲しいものは何でもローンで買った。
18歳でローンが通ったのを境に、暴走族だった私は車にお金をひたすらつぎ込んで改造しまくった。
バイクの実地試験で5回も落ちてバイクに乗り損ねた私は車を溺愛した。
2台目の車を60万円で購入したには19歳だった、中学時代の素行が不良すぎたので県内のほとんどの高校が内申書で落としてきた。
中卒で16歳で単身大阪に行き、大きな食堂でボーイとして働いていた。
2年で挫折し故郷へ帰り専門学校に行くようになる。その時に大阪時代の貯金を全て使い現金で15万円の日産サニーを購入し、2台目は三菱Σだったが、ローンで板金屋に改造させてΣとは言えないほどの外装になった。前面のヘッドライトは新車で事故した親友の車ブルーバードのライトを板金で取り付け、テールライトは軽トラでポーターキャブの丸いライトに改造した。
オートバックスで最高級のコンポをローンで買いハンドルやアルミホイル、扁平率の低いピレリーのタイヤはレーシングマシーンに履かせるタイプだった。
シャコタンという言葉も流行っていた。
正真正銘のヤンキーでクレジットローンの鬼と化していた。
この頃からもうすでに私の金銭感覚は狂っていた。働いてコツコツと貯金をして、溜まった現金でものを買うようなことは想像もしていなかったし、そんな気の長いことはやりたくもなかった。
とにかくカッコつけたかったし、悪い意味で目立ちたかった、周りは全て不良少年と不良少女ばかりでヤクザとも交流ができたりしていた。
人生は完全に狂っていた。
20歳の頃には100万以上も借金があったが、不良少年の私は運良く?追突事故に遭って保険金を受け取ることになる。
保険金という言葉を知ったのもこの時だった。
周りは不良とヤクザだらけで、保険金も法に触れないギリギリのところまで搾り取った。
23年も前のことなので時効だから話すが、人間やめますか?という書ききれないほどの悪事を働いていた。
保険金で一気に借金を返済し、20歳の私は現金100万円を持って東京へ行くことにした。
当時勤務していたお店の店長やら先輩たちが皆口を揃えて私は東京に行くべき人間だと言い聞かせていた。
きっと環境が悪すぎるから私を新天地に行かせて救済しようとしてくれていたようだ。
16歳から遠く離れた土地に一人で暮らしていたので、迷わずそんなに東京がいいのならと保険金を持参していざ東京へ行くことになる。
21歳の時点で私はすでに多重債務に陥っていたが、運良く保険金という思いもよらないあぶく銭が入り残債を全て一括で払い終わり難を逃れることができた。
東京には約10年ほど住んでいたがこの時もすぐに100万円はアパートの頭金や家財の購入などで消え、半年後には丸井でキャッシングカードを手に入れて、すぐに限度額(確か50万円)に達し1年後には借りては返す自転車操業が始まった。
10年後に帰省し故郷で起業する時に実家を担保に600万円借金して10坪ほどの店舗で商売を始めた。
この時30歳で商売は思った以上に繁盛し年120%くらいの利益率で右肩上がりに業績を伸ばした。
その間店舗のリニューアルをするたびに借金が増え、10年後には2000万円ほどの多重債務になっていた。
まだこの時点では債務不履行にはならなかったが、この時に店舗を自社で購入して1億円の借金を抱えた。
170坪の土地を買い、50坪ほどの吹き抜け5mの店舗を作り設備やら広告宣伝費、材料代、運転資金で1億円はオープンから1年後には全て消えていた。
2015年7月16日 空太郎