借金・自己破産・自殺未遂を人生の糧にした男の美学
小学校時代
Primary school
小学校時代は人気者だった。
明るく活発で成績優秀、スポーツ万能、背がクラスで一番高く、細くもなかったが太くもなかった。モテる?という言葉を覚えたのもこの頃だった。女子を意識し始めたのは小学1年生の時で、同じクラスの女子に「結婚しよう」とラブレターを書いたりもした。
典型的な、ませガキだった。
その反面、森田健作の「俺は男だ」とか「Gメン75」などに影響され「男らしさ?」を勘違いし女子に対する「女のくせに!」という九州男児みたいな男尊女卑という偏見も芽生えていた。
母親を後追いした少年は心のどこかで女子を憎む心も芽生えたが、逆に母親の愛情を受けたくても専業主婦のようにいつも一緒にいたかったという愛情不足からか、女子に限りなく愛情を示す少年でもあった。
小学校時代は女子に「好きだ!」と告白する日々が続いた。告白すると100%くらいの確率で女子も「私も好き」と言ってくれた。
小学校高学年では全校生徒に立候補するまでのお調子者となっていた。
惜しくも副委員長という立場だったが、全校生徒の前に姿を表すことが多く、小学校に上がってから終始、3000人のマンモス校で全校リレーの選手だったりして、バレンタインデーには最高で24人にチョコレートをもらったりした。
とにかく積極的な小学校時代で、遊びもだんだんと広がって行き、グループで女子とデートしたりした多感な少年だった。男子の友達も多く誰とでも仲良くできる平和主義者的なところも芽生えていた。
体育会系でもあったが、図画工作は低学年から大好きだった。
1年生で絵画の金賞をもらってからは家でもよく絵を描いていた。
漫画やテレビドラマも大好きで、「仮面ライダー」「ウルトラマン」「ガッチャマン」などなどヒーローものに強い関心を抱くようになり、低学年の頃の夢は「刑事」になることとか言っていた。後に中学時代に札付きの不良少年となり、刑事が一番嫌いな青年になるとは夢にも思っていなかった。
また幼少期に初めて白黒テレビを見た時は衝撃だった。
日本の高度成長期真っ只中で、洗濯機も脱水層が無くて、ローラーを手で回してせんべいのような洗濯物がにゅるにゅる出てくるような時代だった。
低学年では父親がたまに家にいると、泣き虫の私を叩いて怒鳴り散らされる毎日だった。
今考えると幼児虐待さながらで、叩かれて外に縛り付けられ「男のくせに泣き虫」という理由で毎日のように体罰を受けていた。
いつしか父親をこころから憎むようになった。
小学校から帰ると近所の畳屋の藁を取ってきて藁人形を作り、父親のことを恨みながら、大きな釘で何度も刺していた。
本気で殺したいと憎んでいた。
しかし子供心なので父親がたまに優しくしてくれて、囲碁や将棋をしてくれた時はこころから楽しかった。
たまに運動会に来て、全校リレーで前走者を抜くと手放しで喜んでくれたりもした。
近くの海水浴場に連れて行ってくれたり、プールに連れて行ってくれた。
大人になって父親を許せる日が来るまで、生まれて25年くらいは幼少時に体罰を受けさせた父親を憎み、反面父親の愛情も欲していたと思う。
とにかく活発で多感な小学校時代だった。
この頃から自分の中に愛と憎しみ、光と闇、天使と悪魔が混在するようになっていた。
何が善で何が悪かを教えられないまま大人になっていくことになる。
2015年7月16日 空太郎
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