借金・自己破産・自殺未遂を人生の糧にした男の美学

自殺

Suicide

自殺という言葉とは完全に無縁だった私は、1991年に起業した時は、夢と希望に溢れていた。

少年時代天真爛漫だったころから起業して10年くらいの40歳頃までは、まさか自分が自殺するような人間であるとは夢にも思っていなかった。

しかし起業して10年を過ぎた頃私の人生の歯車は完全に狂い始めていた。

欲と虚栄に満ちていた私は、成功や発展繁栄という意味を履き違え、極めて物質的な発展繁栄こそが成功であると思い込んでいた。

どれだけ人にうらやまれるような形を有しているか?
どれだけ売り上げを上げられているか?
どれだけ私自身が満足のいく成功を手にしているか?
またこれからの価値観は私自身に全て見返りのあるもので、賞賛、祝福、脚光をあびることに必死だったように思う。

他人からの視線や評価だけを拠り所とし、本当に目に見えない真実からは遠のいていくばかりであった。

10年以上業績を伸ばし続けていたことで、11年目にプランした大規模な設備投資に対して銀行は快くそのプランを賞賛してくれた。

構想は膨らみ続け、担保力を上げるために仮店舗の拡大プランから自社ビル購入の分不相応な拡大プランに変貌を遂げていた。

構想というよりも独りよがりの妄想だった。

現実と妄想の狭間の中で個人的な問題も増えていた。

規模を急激に拡大することの意図は最初に話した他人からの賞賛や、自分自身の自己満足からくる見栄や虚栄でしかなかったことは今になってよくわかる。

本当の成功の土台となる、利他の精神や社会貢献など口先ばかりで競争社会で圧倒的に勝ち抜き多くの人々にただただ認められたい、自分の存在を大きく見せたい、成功者だと思われたいと無意識で思い続けていた。

その頃旧店舗でオープン後7年目に店舗のリニューアルをし借金は2000万円ほどに膨らんでいた。
幾つかの金融機関での借り入れのため月々の支払いも余裕などなかった。
それも次の急拡大する無理な規模拡大プランと深く関係していた。

要は小口で月々の支払いに追われるよりは、その残債を丸呑みするほどの大きな借り入れを一社からに借り換えし、ただの借り換えだけでは担保力がないため断念せざるを得ないところを、自社ビルの建設という名目のもと、広い土地を購入し、店舗を建設することで、そのものに担保力がつくので、新しい構想は銀行に祝福されたわけだ。銀行側は10年間の決算書だけ見て評価しているので、実情は何も知らない。

それまでにも私は数十回に及ぶ店舗拡張プランを立てており、それらは全て仮店舗でのプランだったために担保力の欠如という理由でことごとく銀行には却下され続けていたという経緯があった。

だが今回は違った、土地や建物が自分の会社の所有物となれば話は全く逆だった。

銀行の大好きな第一抵当権が手に入るわけである。

その頃タイミングよく大手の郊外型複合施設が私の計画した地域にできる話が持ち上がっていた。

これは私のプランには追い風でイオンモールに隣接した場所でのプランということで銀行はノリノリで事業計画に対して加担してきた。

私は大雑把な計画をしただけで、あとは地銀の融資担当者が経理面の事業計画を全てプランした。

私は完全に浮かれていた。

本来形がないはずの成功という陽炎をあたかも現実に手に入れたかのような幻想を抱いていた。

話はトントン拍子で進み、事業計画は融資額1億円で決済されようとしていた。

一方そのころ家庭内でのいざこざが多発していた。

特に一緒に商売を始めた元妻との険悪な関係が目立ち始め、融資が降りようとしたその前日にも離婚話まで膨らむほどの口論があった。

私は得体のしれない不安をその時に初めて経験した。恐怖心にも似た言葉に言い表されないような感情を覚えたのだ。

明日の融資は断念したほうがいいかもしれないと元妻にも話したくらい不安だった。

やはり商売は夫婦が円満で協力し合い助け合い励まし合うのが基本であると考えていた私にとって事業を今まさに拡大しようとしている前日に離婚話が出るほどに関係が悪化していることは、すなわち新規事業も同じ運命をたどるのではないか?と連鎖して考えたから不安が大きくなったのだろう。

そして私は腹を決めた、もし今度の事業が失敗したら残債を終わらせるだけの保険に加入しておき、自ら命を絶ち残債を消して人生を終えよう。

そう決意した私は融資額1億円が実行されると同時に1億円の保険に加入した。この保険は1年以内では自殺では降りないが、2年目からなら自殺でも全額降りることをあらかじめ確認しての加入だった。

大きな不安や恐怖はその蛮行によって薄らいでいった。

私は事業の成功に全てを賭けることにした。

そして最初の私の予感は的中した。

元妻との関係はますます悪化し、大きな見えない壁を作りお互いの心は完全に分離していた。

乗り出した船からは降りられなくなっていた私たちは仮面の夫婦を演じながら、事業の存続をそれぞれ願ってそれなりに努力をしているように思い込んでいた。

やがてそうしたオーナー夫妻の不調和は従業員にも伝わっていった。

当然事業内容にもその不調和な波紋は広がっていった。

個人々の心の平安があり、個人々が調和していて、初めて調和された夫婦が存続できる。

調和された夫婦の元で初めて会社の調和が生まれてくる。

調和された会社だけがその地域で永くお客様に愛される存在となる。

社会と調和されているということは税金や国保、年金などの滞納がなく国家との調和が完成される。

あくまでも始まりは個人の嘘偽りない赤裸々で正直で誠実なありかたが全てを決めていく。嘘偽りがなく心が透明で安定した状況が継続していくことが個人の調和された姿である。

凪いだ湖面に映る満月のように大らかで朗らかな人格が形成されていく。

決して夫婦間で些細な隠し事などなく、相手の欠点ばかりをあげつらう不調和な想念がなく、毎日がすがすがしい思いやりのある関係なくして、夫婦の調和や成功、人生の成功発展繁栄への道はない。

事業拡大に覚えた私の嫌な予感はこのような理想のあるべき自分の姿から日々に遠のいていく過程と共に拡大していった。

不安や恐怖は影を潜めてはいたが、確かに私の心の深いところでは漆黒の闇が徐々に拡大の一途をたどっていった。

新規事業立ち上げから5年目にして私の会社はついに債務不履行に怠ってしまった。

私にはわかっていた、ついにこの時が来たということが。

当初プランしていた1億円の保険金が現実的に必要な時がじわじわと迫っていた。

私の中の悪魔は微笑みかけていた。

私はこの頃初めて自殺プランが現実になって来たんだと理解しようとし始めていた。

この頃は藁をもすがる思いでわけのわからないサイドビジネスに手を出したり、浮かれた儲け話に飛びつき詐欺に出会ったりした。

やることなすこと全てが空回りし、負のスパイラルの螺旋階段は下りしかなく、地獄への特急列車は終点まで止まることは無かった。

業績は縮み始め、不調和の波紋は広がり続け、人心が離れていき、一人また一人と従業員は辞めていった。

私が思いつく全ての脱出劇は正反対の結果を招き、私は常に思い通りに行かないジレンマにイラつき、責任を放棄し、悪いことは全部誰かのせいにしたがっていた。人の欠点ばかり目につき、他人を責める心が途絶えることは無かった。

全ての判断が狂い始めていた。

自殺プランそのものが最初から間違っていたことにその当時気がつくはずも無かった私は、この頃どうやって自殺するかばかり考えるようになっていた。

痛いことは嫌いだった私は痛くなく死ねる方法を毎日考えていた。

汚いことが嫌いだった私は屍体が綺麗である方法を探し、ついに練炭自殺という方法を見つけた。

屍体がピンク色で血色もよく見え、発見が早ければ損傷が少なく、自殺の方法で最善であると考えた。

自殺する場所もある程度発見されやすく、保険金がすぐに降りるような場所を探し始めていた。

屍体がないと保険金が降りないからだ。

そして静かに眠るように死ねる静寂の場所をと考えていた。

そしてついに全ての条件が揃う時が来た。

ホームセンターで練炭と着火剤を購入し、車のトランクに常備していた。

場所も人里離れた山奥で、昼間は近くの公園に出向く人の多い場所を選んだ。

そこから少しだけ林道に入り込み、たまに工事の業者などが通るような静かな場所を見つけた。

その頃銀行では債務不履行で築5年目の店舗や土地が競売にかかる話になっていた。

1億円の土地と店舗は秘密裏に銀行の不動産部でそれらしき人々へ情報が流れていった。

幸い同業者が居抜きで私の店舗を欲しいと名乗り上げていた。

同時に異業種のオーナーも店舗購入に名乗りを上げてきた。

銀行不動産部で競売の情報を流し始めて1週間も経たない間に2社が候補に上がり、1億円の競売物件は5000万円の値が付いた。

同業者のほうが5600万円と値を上げてきたので、即決で同業者に5600万円で土地と建物、設備、電話番号を売ることにした。

私のもっていた顧客リストは10000万人を超えており、事業を立ち上げて20年後にできていた大切な資産であった。

この顧客は電話番号についてくることがわかっていたので、新オーナーに祝福のつもりで顧客も全て引き渡すことを決めていた。

新しい店舗での立ち上げがスムーズに行くようにとささやかな親切のつもりでいた。

私の心はいつも土砂降りだった。

悪魔と友達になり、与えられた人生を完全に放棄する覚悟はできていた。

死んで持って還れるものはこの地上には何一つないと心に常に言い聞かせていた。

死んで持って還られるものは心だけだと知識では理解していたので、せめて最後は次の事業者への祝福を選ぶことにしたのだった。

 

2015年7月29日 空太郎

生きる希望も意味も価値もなくした私がこの暗黒の世界から抜け出せたのには理由があった。

理由を知りたい方はこちらへどうぞ。

Copyright© otokonobigaku.club. All Rights Reserved.